<退役米空軍中佐証言 模造核弾頭ミサイル 撃墜事件>
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投稿者 怪傑 日時 2009 年 7 月 22 日 01:14:06: QV2XFHL13RGcs
米国空軍中尉(退役) ロバート・ジェイコブズ教授の証言
Testimony of Professor Robert Jacobs, Lt. US Air Force
2000年11月
ジェイコブズ教授は米国のある主要大学の尊敬を集める教授だ.
1960年代に彼は空軍にいた.
彼は光学装置を担当する将校で、任務はカリフォルニア州バンデンバーグ空軍基地から発射される弾道ミサイル実験を撮影することだった.
1964年、彼が撮影した最初のミサイル実験中に、ミサイルと並んで飛ぶ1機のUFOを、彼はフィルムに捉えた.
彼の話によれば、それは2枚の皿を合わせ、丸いピンポンボールに似た頂部をつけたように見えた.
フィルムには、その一つのボールから光線がミサイルに向けて放たれている様子が映っていた.
これが違う方向から4回起きた.
このときミサイルは約60マイルの上空にあり、時速11,000から14,000マイルで飛んでいた.
そのミサイルが宇宙から落下し、UFOは去った.
翌日、彼は指揮官からこのフィルムを見せられ、それについて今後決して口にしないように告げられた.
彼はこう言った.
もし君がそれを述べる状況になったら、UFOから発射されたレーザー攻撃だったと言うようにと. ジェイコブズ教授はこれはおかしなことだと考えた.
なぜなら、1964年にはレーザーは実験室で生まれたばかりだったからだ.
しかしそれでも彼は言われたことを守り、このことを18年間口にしなかった.
年月が経ち、そのフィルムについての論文が出た後で、ジェイコブズ教授は早朝に嫌がらせ電話を受けるようになった.
家の前にあった彼の郵便受けが吹き飛ばされることさえ起きた.
我々がバンデンバーグ空軍基地で撮影したものが、私のその後の人生に影響を及ぼし、宇宙について、そして政府が我々の心を操作する様についての私の理解に非常に大きな影響を与えた.
我々が核兵器を目標に向かって打ち込むための弾道ミサイル実験を行なっていた、というのがこの出来事の背景だ.
それが彼ら(*UFO)がそこにいた理由だった.
我々は本物の核兵器を打ち上げていたのではなく、模造弾頭を打ち上げていた.
それらは核兵器と同じ大きさ、形状、寸法、重量を持っていた.
私はバンデンバーグ空軍基地の第1369写真部隊で、光学装置を担当する将校だった.
だから、その西の実験場で落下するすべてのミサイルの計装写真を管理するのが私の任務だった.
当時、我々はそれらをICBMと呼んでいた.
つまり国家間弾道ミサイル(inter-country ballistic missile)だ.
なぜなら、それらは発射するとすぐ爆発していたからだ.
そして我々の仕事は、飛行中に外れる噴射口の何が悪かったのかを調べられるように、技術者たちに技術連続写真を提供し、なぜそれらが爆発したかを究明することだった.
これらの実験を追跡するための写真施設を設置した功績により、私は空軍誘導ミサイル勲章を受けた.
私はミサイル記章を得た、空軍で最初の写真家だった.
それは当時誰もが欲しがっていた.
その事件が起きたのは、間違いなく1964年だった.
というのは、マンスマン少佐がそれを確認したからだ;
彼はそれを書き付けていて、その正確な日付を知っていた.
彼らがミサイルの秒読みをし、我々はエンジンが点火し上昇するのを聞いた.
こうして我々はミサイルが進行中であることを知った.
我々は南、南西を見ており、ミサイルは煙の中からひょっこり現れた.
それは実に美しいもので、私は、そら出てきたぞ、と大声で叫んだ.
180インチのレンズを据え付けた我々のM45追跡台にいる連中が、ミサイルを撮影した.
大きなBU(*ブッシュネル)望遠鏡が旋回してそれを捉え、我々はそれらを追った.
実際に我々は、推力を得た飛行ブースターの3段すべてを見ることができた.
それらは燃焼し尽くし、落下した.
そして当然、我々の目に見えるものは、太平洋上の島である標的に向かって下部宇宙空間へと吸い込まれていく、煙の航跡だけだった.
あれは打ち上げの我々の最初の撮影だった.
我々はそれを捉えた.
我々はそのフィルムを基地に送った− それからどれくらいの時間だったか、正確には覚えていないが、1日か2日だったと思う− 私は第1戦略航空宇宙師団司令部のマンスマン少佐の事務室に呼ばれた.
私が彼の事務室に足を踏み入れると、彼らはスクリーンと16ミリプロジェクターを用意していた.
長椅子が一つあり、マンスマン少佐が座れと促した.
そしてそこには灰色のスーツを着た二人の男がいた.
私服だったのはかなり異例だった.
マンスマン少佐は、これを見ろと言い、フィルムプロジェクターのスイッチを入れた.
私はスクリーンを見た. それは1日か2日前の打ち上げだった.
それは胸を躍らせるものだった.
望遠鏡が長いため、アトラスミサイルが画面に入ったとき、我々は3段目までの全部を見ることができた.
あれは実に素晴らしい光学装置だった.
我々はその段が燃え尽きるのを見た.
我々は第2段目が燃え尽きるのを見た.
我々は第3段目が燃え尽きるのを見た.
そして、その望遠鏡で我々は模造弾頭を見ることができた.
それは飛び続けていたが、画面に何か別のものが入った.
それは画面に入ってきて弾頭に光線を発射した.
思い出して欲しいが、これらはすべて時速数千マイルで飛んでいるのだ.
そしてこの物体[UFO]は弾頭に光線を発射して命中させ、次にそれ[UFO]は反対側に移動し、また光線を発射した.
さらにまた移動して光線を発射し、次に下降してまた光線を発射した.
そして入ってきたときと同じように飛び去った.
弾頭は宇宙から落下した.
その物体、我々が見た光点、弾頭などは、高度約60マイルの下部宇宙空間を上昇していた.
このUFOがそれらに追いつき、飛び込んできてそれらの周りを飛び、そして飛び去ったとき、それらは時速11,000から14,000マイルで飛んでいた.
私はそれを見てしまった!
誰かがそれについて何を言おうとも、私はまったく気にかけない.
私は映像でそれを見たのだ!
私はそこにいたのだ!
明かりがつけられたとき、マンスマン少佐は振り向いて私を見た.
そして、君たちは何か悪ふざけをしていたか、と訊いた.
私は、していません、と答えた.
そしたら彼は、あれは何だったか、と訊いた.
私は、UFOを捉えたのだと思います、と言った.
我々が見たもの、飛び込んできたこの物体は円形で、2枚の皿を合わせてピンポンボールの頂部をくっつけたような形だった.
光線はそのピンポンボールから発射された.
これこそ私が映像で見たものだ.
それについて少し議論してから、マンスマン少佐は私に、これについては今後決して話すなと言った.
これが決して口外されなかったことは、ご存じのとおりだ.
そして彼は、機密保全誓約違反の悲惨な結末は分かっているね、と言った.
分かっています、と私は言った.
彼は、よろしい、と言った.
私は決して口外しなかった.
私がドアに向かったとき、少し待て、と言った.
彼はこう言ったのだ、今後もし誰かにそのことについて話すように強要されたら、それはレーザー照射だった、レーザー追跡照射だったと言うように.
だが、1964年に我々はレーザー追跡照射など行なっていなかった.
我々はいかなるレーザー追跡もまったく行なっていなかった.
レーザーは1964年にまだ生まれたばかりだった.
それらは実験室の中の小さなおもちゃだった.
それで私は、分かりました、と言って外へ出た.
それが18年間で私が話した最後だった.
私はバンデンバーグ空軍基地ではそれを誰にも話さなかった.
私の部隊の誰もそれを知らなかった.
私以外に誰もそのフィルムを見なかった.
私の指揮官ルイス・S・クレメンツ・ジュニア少佐は、それを見なかった.
私の作戦将校ケネス・R・キャラハン大尉は、それを見なかった.
彼の中尉だったロナルド・O・ベイラーは、それを見なかった.
彼らの補佐だったスプーナー曹長は、それを見なかった.
私の部隊でそれを見た者はいなかった.
そして私はフロレンス・J・マンスマン・ジュニア少佐の直接命令により、それを誰にも話さなかった.
だから、バンデンバーグ基地で私が知っている誰もが、これについて何も知らなかった.
本当にそんなことがあるのだろうか?
誰かは見ていただろう.
誰かがそれを話したかもしれない.
だが誰もそうしなかった.
なぜなら、当時私は話すなと言われた最高機密事項については話さなかったのだ.
兵役中に知ったことで今あなたに話したくないことがある.
なぜならそれらは最高機密で、それを話すと私の立場がまずくなるかもしれないからだ.
18年後、私は次のことに思い当たった.
最高機密扱いだと誰も私に言わなかったこの事件を、話してもよいのではないか.
マンスマン少佐の言葉を解釈すると、彼はこう言った.
“これは決して起きなかったと言うように” それはこの事件を最高機密扱いにしていないのではないか?
これが私がそれについて話すことを躊躇しなかった理由だ.
それは又聞きの話ではない.
私に起きたことなのだ.
そして私は18年間、米国空軍の隠蔽工作に関わった一人だった.
[その事件について]ある論文を発表した後で、事態は大変なことになった.
私は仕事で嫌がらせを受け始めた.
日中に奇妙な電話がかかり始めた.
夜に自宅で私は電話を受けるようになった− 一晩中、時々は午前3時、午前4時、夜中の10時、相手は電話をよこし、私に喚き始める.
このくそったれ!
このくそったれ!
彼らが言うのはこれだけだ.
彼らは私がとうとう受話器を置くまで喚き続ける.
ある夜、何者かが大量のロケット花火を放り込んで、私の郵便箱を吹き飛ばした.
郵便箱は炎を上げて燃えてしまった.
その夜の午前1時に電話が鳴った.
受話器を取ると、何者かがこう言った.
“郵便受けの夜のロケット花火、きれいだったぞ、このくそったれ野郎!”
こんなことが1982年以来繰り返し起きている.
私はあなたに話したが、このヒストリー・チャンネルの件が注目されてあなたが質問を始め、このことが再び広がり始めてから、私には再び電話がかかり始めた.
妻と私は居場所も分からないここで電話を受ける.
ここは我々が避難し籠もっている、我々の農場だ.
これは奇妙なことだ− 彼らは何も言わない.
電話を取り上げハロー、ハローと言う.
そうするとフムムムム......、カチッ.
これは気味が悪い.
しかし私は落ち着いて対応することを学んだ.
私はもう気にかけない.
私を消すために彼らは何をしようとするのか?
私の信用を落とすために彼らは何をするつもりなのか?
彼らはフィリップ・クラス(*UFO懐疑派)がすでに私にした以上の何かをするつもりなのか?
彼らは私を愚か者に見せようとしているのか?
彼らができることはだいたいそんなものだ.
UFO問題の周辺を縁取るこの気違いじみた物事は、その真面目な研究を抑えつける協調した作戦の一部であると私は考えている.
この主題を真面目に研究しようとすると、いつでも誰でも嘲笑の対象になる.
私は比較的主要な大学の正教授だ.
そして、私が未確認飛行物体を研究することに興味を持っていると聞いたら、私の大学の同僚たちは私を笑い、私の後ろであれこれ大声で揶揄することは間違いない− 未確認飛行物体はまさに我々が共生すべき物の一つなのだが.
空軍はすべてを否定した.
私は空軍にいたか?
空軍はそれを否定した.
私はかつてバンデンバーグ基地にいたか?
もちろん私はいた可能性はない.
私は空軍にいなかったのだからどうしてバンデンバーグ基地にいられようか?
私はカリフォルニア海岸に沿って追跡サイトを設置したか?
否、カリフォルニアに追跡サイトはなかった.
馬鹿げているのはどっちだ!
その追跡サイトは今でも私が設置した所にある.
彼らはスペースシャトルがカリフォルニアに着陸するたびに、それを皆さんに見せるためにそのサイトを利用する− シャトルを最初に見るのはそこからなのだ.
そして彼らは今でもこの追跡サイトからバンデンバーグ基地からのミサイルを撮影している.
ともかく私の話を裏付けるために、リー・グラハムはフロレンス・J・マンスマンを見つけ出した.
そのことを口外しないように私に命令した、あの少佐だ.
彼は今やスタンフォード大学の博士であり、カリフォルニア州フレズノで牧場を経営していた.
そして彼はリーに返事を送ったが、それにはボブが話の中で語ったことはすべて絶対に真実だと述べられていた.
彼は私の話を裏付けてくれた.
そしてその後何年間も、誰かがそれを持ち出したり彼と接触しようとしたときには、いつでもこう言って私の話を裏付けた.
“そのとおりだ、それがまさに起きたことだった”
これは相当に勇気が要ることだ. 私は小父さん[マンスマン]のファンになってしまった. 彼は今は亡い.
暫くの間、彼は私の英雄だった.
そのとき私は部屋にいなかったが、マンスマン少佐が私や他の人々に語ったように、そのフィルムに起きたことは、それ自体興味深い話だ.
私が立ち去ってから暫くして、私服の男たち− 私は彼らをCIAと考えたが、彼は違うと言った.
それはCIAではなく他の何者かだった− がそのフィルムを取り上げ、UFOが写っている部分をリールから外し、はさみでそれを切り取ってしまった.
彼らはそれを別のリールに巻き、彼らの書類カバンに入れた.
彼らは残りのフィルムをマンスマン少佐に返し、こう言った.
“機密保全誓約違反に対する罰則の厳しさは、説明する必要がないですよね、少佐. この事件は片づいたことにしよう”
そして彼らはフィルムを持って立ち去った.
マンスマン少佐はそのフィルムを再び見たことはない.
そして私の考えでは、バンデンバーグ基地でそれを再び見た者は誰もいない.
それはバンデンバーグ基地からどこか他の所に行ったと私は確信している.
マンスマン少佐はフィルムを見ることにとても慣れていたが、それは地球外のものに違いないと言った.
彼らは模造弾頭を照射した光線を、ある種のプラズマビームと考えた.
それはプラズマビームのように見えたからだ.
マンスマン少佐は、組織の中では大変な栄誉と科学者としての名声を得た人物だった.
その彼がそれを裏付けたことで、私は十分満足している.
私は自分自身を信じなくてもマンスマン少佐は信じるだろう.
そのとき空軍将校だった我々二人がそこにおり、何かを見た.
そしてそれを見たことを我々二人が互いに裏付けた.
懐疑論者や私が話していることを信じない人々に訊ねたいことは、なぜ私がこの話を作り上げる必要があるかということだ.
なぜマンスマン少佐(博士でもある)がそれを作り上げる必要があるか?
我々は何を得る必要があるか?
私はそれから、それを話したことから苦痛と苦難以外を得ていない.
私は自宅で嫌がらせを受けてきた.
これは私を不利にするために使われてきた.
一度教職を失う一因にもなった.
この話をした後で、私は大変な目に遭ってきた.
だが私はこの話をし続ける.
政府の中でこの種の最低のことが行なわれていることを人々が知るのは重要だと考えるからだ.
我々はこの国の市民として知る資格があるその情報を、政府が隠蔽しているのだ.
私がこの話をする理由はそれだ.
それが私があなたにそれを語っている理由だ.
こうなった今、私は生きている限りそれを話し続けるだろう.
そして私が話すことはいつも同じだ.
なぜならそれはただ一通りに起きたからだ.
私は絶対に話を変えない、それができないからだ;
それは本当のことだった.
私は屈辱的な手紙や電話に曝され続けている.
相手はNASAのジェームズ・オバーグ(*宇宙ジャーナリスト兼歴史家)やフィリップ・J・クラスのような懐疑論者だ.
彼らは私をけなすことに執心する、米国政府に雇われている密告者だ.
私をけなすことはよろしい.
だがマンスマン小父さんをけなすことはやめたまえ!
空軍の今の立場は、そんな事件はなかったし、そのフィルムもなかったということだ.
この活動全体について私が重要と考えることは、実にこれに尽きる.
人類史上最大の出来事は、我々は孤独ではない、この宇宙に他の生命体− 知性的な存在− がいる、そして我々はここで孤独ではない、という発見だ.
それはとてつもない、大変な発見だ.
我々が宇宙で孤独でないことを知るのは、人類終生の発見ではないか?
それがこれらについて話すことが重要だと私が考える理由だ.
それはとても胸が躍るものだ.
そして、結局我々は動物進化の最終形態ではないことを受け入れ、成長し、それを認識することが、人間である我々にとって重要だと考えるからだ.
そこには我々よりも大きく、もっと心躍る何かがあるかもしれない.
そして、もしかしたら彼らは我々に何かを語りかけているのかもしれない.
なぜなら、私があの日見たものは模造弾頭を撃ち落とした何かだった.
あのことから私はどんなメッセージを受け取ったか?
核弾頭を弄ぶな.
これがおそらくそのメッセージだったと私は解釈する.
たぶん何者かが我々がモスクワを滅ぼすことを望まないのだ;
たぶん我々はそうすることをやめるべきなのだ.
[複数の地球外輸送機が核施設に現れた後で、これと同じ結論に達した多くの軍人に私は面談してきた:
おそらく地球外の他の人々は恒星間旅行の段階に達し、これらの兵器がいかに危険か、その使用が我々の文明を終わらせることを知っている.
そして間違いなく彼らは、我々がこのような兵器を持って宇宙に進出するのを望まない. SG]
ロナルド・レーガンはある夜テレビ出演し、とても驚くべきことをした.
彼は全米国民の前で次のように言ったのだ.
我々は一つの防衛の盾を構築するつもりであり、それはSDI(Strategic Defense Initiative)、戦略防衛構想と呼ばれることになる.
その使命は我々を、我々のすべてを防御することである.
ロナルド・レーガンはこれをすべての人々と共有すると言った.
我々はそれをロシア人と共有する− 我々の敵、ほんの数年前までは双方互いに滅ぼす間柄のふりをしていた.
今突然に、我々は一つの盾で彼らを防御しようとしている.
誰から彼らを防御しようというのか?
おそらく、あれは最初の威嚇射撃だった.
君たち、こんなことはやめなさい、大人になるときだ.
こう言っている者からの最初の警告射撃だった.
君たちはこの惑星を破壊したくない、そうだろ?
このまま続けたら...
そこで起きたことについての私の解釈をあなたに話したが、これは私自身の推測だけに基づくものではない.
私はこれまでの年月の間、他の資料も読み、他の人々とも語り合ってきた.
たぶん我々の被害妄想は事実無根だ.
そしてもし我々が優れた技術を持つ存在に遭遇したなら、おそらく喜んで彼らを受け入れ、友好的になるだろう.
なぜなら、彼らは我々に生き延びる術を教えているかもしれないからだ.
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