良い宇宙人と悪い宇宙人,


NO10277


出雲大社と神示 


ササさんのメール(6月20日)

ササです。

仕事の合間の20分間で出雲大社をぐる〜っと一周撮影 しました。

今回は前回のように、変なUFOは写ってませんでした!










































千成記

ロックさんが、10245(グレン)で、グレンその8で、日月の巻 第二十八帖(201)について送ってくださったのが6月20日でした。

その同じ 6月20日にササさんが出雲大社の画像を送ってくださいました。

これって偶然でしょうか?

それとも、神はロックさんが6月20日に、出雲が出ている帖を解読されるように 操っておられるのでしょうか?

そしてササさんは、仕事の合間に、 20分の空き時間があったそうです。

ロックさんの解読に合わせて、ササさんは、出雲大社で仕事があるようになっているとしたら この不思議さは、人智を超えていますね。

不思議といえば、


ササさんが送ってくださった画像の数が→38枚。

ロックさん解読のグレンの番号が→グレン8。

グレン8になった帖が→日月の巻 第二十八帖

すべて8がついています。

何か訳があるのでしょうか?


ひふみ神示 第六巻 日月の巻 第二十八帖(201)

昭和十九年十一月二十五日、

旧十月十日(1944年)

岩戸あけたり日本晴れ、富士ひかるぞ。

この巻 役員読むものぞ。

世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。

くもでて くにとなったぞ。

出雲(いずも)とはこの地(くに)の事ぞ。

スサナルの神はこの世の大神様ぞ。

はじめはであるなり、(うご)いて月となり地となりたのざぞ。

アは(ヒツキクニ)の神様なり、

(ヨ)は月の神様ぞ、

クニの神様はスサナルの神様ぞ。

この事はじめに心に入れれば掃除タワイないぞ、

グレンとは上下かへる事と申してあろうがな、

云ふてはならぬ事ぞ。

いはねばならぬ事ぞ。

アメのつ九の

使用された特殊文字 


千成記

関連してウシトラという文字がでてきました。

何か意味ありそう。

ウシトラの年は、2009年、2010年ですが、

「岩戸開きの仕組みが早くなる」

という内容もありますので、2007年にそろそろ 始まりかけるのかも。


極めの巻 第04帖 (931)

大空に向って腹の底から大きく呼吸してゴモクを吐き出し、

大空を腹一杯吸ひ込んで下されよ。

そなたの神を一応すてて心の洗濯を致してくれよ、

神示が腹に入ったらすてて下されと申してあろうがな、

神を信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。

日本が秘の本の国、艮(宇詞答裸)(ウシトラ)のかための国、

(ヒ)出づる国、

国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国と言うことが判りて来んと、

今度の岩戸ひらきは判らんぞ、

こんなことを申せば、

今のエライ人々は、古くさい迷信ぢゃと鼻にもかけないなれど、

国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸(言答)ひらきぞ、

今の学では判らんことばかり。

善と悪とに、自分が勝手にわけて、

善をやろうと申すのが、

今の世界のあり方。

天の王、地(智、千)の王のこと、

のことがハッキリ判らねば足場がないではないか、

足場も、めあてもなくてメクラメッポーに歩んだとて目的には 行きつけぬ道理。

使用された特殊文字   


ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第二十七帖(027)

昭和十九年七月一日、

旧五月十一日(1944年)

何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。

元の仕組は富士(二二)ぞ、

次の仕組はウシトラ三十里四里、

次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、

今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、

行きて神祀りて開いて呉れよ、

細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、

臣民は子ざから、子に手柄さして親から御礼申すぞ。

行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、

何事も物差しで測った様に行くぞ。

天地がうなるぞ、

上下引繰り返るぞ。

悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、

もう直ぐ目さめるぞ、

目さめたらたづねてござれ、

この神のもとへ来てきけば、

何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。

秋立ちたら淋しくなるぞ、

淋しくなりたらたづねてござれ、

我(が)を張ってゐると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。

この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、

取り違ひせんやうにして呉れ、

三柱と七柱揃うたら山に行けよ。

七月一日、

ひつくのか三。


星座の巻 第17帖 (051)

土のまんぢうと申してあろう、

土が食べられると申してあろう、

土から人民を生んだと申してあろう、

ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、

土に生きよと申してあろう、

地は血(智)であるぞ、

素盞鳴命様であるぞ、

その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、

それが地変であるぞ。


神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意してゐるぞ。

自分に自分がだまさ れんやうに致しくれよ。

自分の中に善の仮面を被った悪が住んでゐるに気つかんか。

はらひ清めの神が (スサナル)の神様なり。

サニワの神は|曰十の九ん二 ん(ウシトラのコンジン)様なり。

それぞれにお願ひしてから、

それぞれのこと行ぜよ。

この道に入って始の間は、

却って損したり馬鹿みたりするぞ。

それはめぐり取っ て戴いてゐるのぞ。

それがすめば苦しくても何処かに光見出すぞ。

おかげのはじめ。

次に自信ついて来るぞ。

胴がすわって来るぞ。

心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。

悪の霊はみぞおちに止まりかちぞ。

霊の形は肉体の形、

肉体は霊の形に従ふもの。

このこと判れば、

この世のこと、

この世とあの世の関係がはっきりするぞ。

足には足袋、

手には手袋。

(十一月裏四日)

|曰十(ウシトラ)

黄金の巻 第048帖 (559)

使用された特殊文字


ウシトラコンジン様を先づ理解せよ。

どんなことでも叶へてやるぞ。

理解するには、理解する心、先づ生まねばならん。

われよしでは拝めんコンジンさまぞ。

天地総てのもの、生きとし生けるもの悉く、

よりよくなるやうに働いてゐるのであるぞ。

それが神の心、稜威(みいつ)ぞ。

弥栄と申すものぞ。

その時、その人間のキに相応した神より拝めん。

悪いキで拝めば何んな立派な神前でも悪神が感応するのぢゃ。

悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、

善き念が通ずるならば、

悪神引込んで、それぞれの善き神 現はれるのぢゃ。

この道理よく心得よ。

(一月三日)

黄金の巻 第096帖(607)


扶桑の巻 第08帖 (008)

平坂の 岩戸(言答)ひらけむ 音のきこゆる。

神に怒りはないのであるぞ、

天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。

太神は愛にましまし、

真にましまし、

善にましまし、

美にましまし、

数にましますぞ。

また総てが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、

若(も)し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ。

救ひの手は東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らしてあろが、

その東とは、東西南北の東ではないぞ、

このことよく判りて下されよ。

今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢゃ、

ウシトラとは東北であるぞ、

ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、

地(千、智)の元の、

天地の元の元の元の神ぞ、

始めの始め、終りの終りぞ、

弥栄の弥栄ぞ、イシヅヱぞ。


ミロク世に出づには神の人民お手柄致さなならんぞ、

お手柄 結構々々、

神の人民 世界中に居るぞ。

この中に早くから来てゐて何も知りませんとは云はれん時来るぞ、

神示よく読んでゐて呉れよ。

時来たら説き出せよ、

潮満ちてゐるぞ、

潮時誤るなよ。

早う目覚めんと、別の御用に廻らなならんぞ、

ウシトラコンジン様、何事も聞き下さるぞ、

誠もってお願ひせよ、

聞かん事は聞かんぞ、

聞かれる事は聞いてやるぞ。

神、仏、キリスト、ことごとく人民の世話もしてやるぞ。

時節到来してゐるに未だ気付かんか、

人民の物と云ふ物は何一つないのざぞ、

未だ金や学で行けると思ふてゐるのか、

愈々の蓋あいてゐるに未だ判らんか。

奥山に参りて来ねば判らんことになって来るぞ。

奥山、おく山ぞ、

同じ奥山が、その時々により変って来るぞ、

身魂磨けば磨いただけ光りできておかげあるぞ、

この道理判るであろがな。

三月三日、

ひつ九のかミしるすぞ。

空の巻 第09帖 (464) 

昭和二十二年三月三日、

旧二月十一日(1947年)