良い宇宙人と悪い宇宙人,


NO8467


福岡県行橋市犀川町で不思議な石を見つけた! 


梅さんのメール

皆様、明けましておめでとうございます。

本年も宜しく御願い申し上げます・・・

遅〜い、挨拶 ゴメンちゃい!

昨日(3日)主人とドライブ中、不思議石発見

場所は福岡県行橋市犀川町

大きな石が中石に支えられてる様子

ふと・・大石の丸み帯びた感じを見ると何千年・何万年前 この辺り一帯は、川で流され・流されて丸み帯びたのかな〜?

8460のノアの洪水時代かもね!)

とか思いながら撮影しました。

ちょこっと暗いけどね!

上の写真は全体の風景

下ははズーム




千成の返事

梅さん、写真ありがとうございます。

メッチャ、変な石ぃ〜!

何か意味ありそうで無さそうで!

もし、この石に何か意味があったら

「ドヒャ〜」

なんですが。

ひょっとしてどなたかが、この石の意味を教えてくださるかも。


julaさんのメール

jula です。

ざーっと検索かけてみました。

写真の巨大な岩についてはちょっと見当たらない感じです。

しかしその辺りは城跡があり、岩の産地でもあるようですね。

神社も沢山あるようです。

地名としては京都(みやこ)郡というのが付いて 福岡県行橋市京都郡犀川町 なんて感じのようです。

巨岩の下の白っぽい石が石材として利用されているものなんじゃないかと思います。


九州地方で名が通った銘石と言えば――、それは『内垣石』なのである。九州での評判 は極めて良く、根強いファンも多い。青系の石で目が細かく、輝くような美しいツヤが 出る。おまけに日に焼けにくく、水を吸いにくいと言うから、これは墓石材として使う しかない。 ”

石の産地でもあり、近くに城跡もあるようです。

もしかしたら人為的に何かをしたものなのかもしれませんね。


内垣石

http://www.ishicoro.com/meiseki/utugaki/uchigaki.htm

九州地方の銘石と言えば―

九州地方で名が通った銘石と言えば――、それは『内垣石』なのである。九州での評判 は極めて良く、根強いファンも多い。青系の石で目が細かく、輝くような美しいツヤが 出る。おまけに日に焼けにくく、水を吸いにくいと言うから、これは墓石材として使う しかない。

  何しろ九州地方のお墓は大きいのだ。何につけ、大きいことは良いことなんだけど(? )、お墓の場合、使用する石が悪いとその大きさがアダになる。サビだらけの巨大なお 墓じゃあ……石屋さんとしてはあまり考えたくない。  その点、『内垣石』なら安心して使える

自然、文化遺産に恵まれた犀川町

 『内垣石』は福岡県京都郡犀川町で採掘される。採掘業者は拒蜻ゥ石材工業所(大束 賢次社長)で、月産500〜1000tを採る。その『内垣石』の地元、犀川町には豊かな自 然と永い歴史に育まれた自然遺産・文化遺産が数多く残っている。少し紹介しよう。

  町の中心部から国道496号線を南下すること約15キロメートル、霊山・英彦山の北麓 、祓川左岸に所在する帆柱集落に、一棟の古い民家が建築された当時のままの姿で残さ れている。国の重要文化財に指定されている「永沼家住宅」だ。江戸時代後期(天保十 年・1839年)に建築されたもので、規模は桁行十間(約20メートル)、梁間五間半(約 11メートル)、入母屋造り茅葺きの直屋(平面が長方形となる家屋構造)民家である。

  ちなみに、永沼家は江戸時代を通じて、帆柱村の長である「庄屋」をつとめたほか、同 村を含む15カ村を束ねた行政単位の代表者、「大庄屋」もつとめたという有数の旧家で 、現在でも存続している。家屋は昭和62年に築後初めての全面解体修理が3年がかりで 行われた。

浪漫あふれる古代山城遺跡

  犀川町と隣接する行橋市との境、行橋市側には昭和28年に国の史跡に指定された、古代 山城「御所ヶ谷神籠石」がある。これは行橋市御所ヶ谷の山中に残る列石や石塁(神籠 石)のことで、神域を列石で囲んだ祭祀遺跡だという意見もあったが、現在では古代の 山城遺跡(城の外周は約3キロメートル)と考えられている。別名を「神籠石式山城」 とも呼ばれる。

  日本には20余りの古代山城があるが、「神籠石式山城」は他に記録がない。そのためい つ、誰が、何の目的で築いたのかは明白でない。有力なのは、7世紀頃、唐や新羅など の国外勢力の侵攻に備えて、国家的事業として築かれたという説。しかしながらまだま だ未解決のナゾが多く、浪漫あふれる石造文化財だ。

四国、名古屋まで広がる『内垣石』

  さて、『内垣石』に話を戻す。『内垣石』を月間二百切ほど加工する鰹骭ヒ石材加工所 の城戸津紀雄社長は「九州以外にも、四国や名古屋辺りまで出荷されています」と話し ている。積極的に全国に向けたPRはしていないが、実力・実績ともにもっと認められ るべき『銘石』である。

◎拒蜻ゥ石材工業所 TEL0930‐42‐0916


日本の主要な石材

http://www2.nkansai.ne.jp/com/shoei/Presents/
hyou/stone-map.html

■福岡県

八女市八女郡上陽町

・八女石 凝灰岩 用途は石灯籠が8割

 阿蘇溶結凝灰岩

築上郡太平村

・唐原石 花崗岩

京都郡犀川町

・内垣石,犀川石 花崗岩 青味を帯びたグレー

行橋市入覚

・行橋石 花崗岩 福岡県最大の産地

・ 姪の浜石


地図

http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&q=
%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E8%A1%
8C%E6%A9%8B%E5%B8%82%E7%8A%80%
E5%B7%9D%E7%94%BA&oe=UTF-8&z=
16&ll=33.650279,130.939393&spn=0.009753,0.017231&t=
h&om=1

福岡県行橋市犀川町 遺跡 で検索

http://machi.goo.ne.jp/snd/spotID_TO40001558/
leisure/details.asp

御所ヶ谷神籠石

行橋市の南西部の御所ヶ岳山頂から山麓一帯にかけて、のべ3kmにわたって花崗岩の切 り石と土塁をめぐらせた遺跡。7世紀ころに大陸の攻撃にそなえて築かれた山城といわ れる


http://kamnavi.jp/it/toyo/index.htm

九州・豊の国の五十猛命

Welcome to Toyo-no-kuni.Sorry The Japanese Language only.

豊國は素盞嗚尊・五十猛命が西へ通った道筋、国東は木の国である。


内垣石内垣石』は福岡県京都郡犀川町で採掘される。採掘業者は拒蜻ゥ石材工業所(大 束賢次社長)で、月産500〜1000tを採る。 ... 浪漫あふれる古代山城遺跡 犀川町と隣 接する行橋市との境、行橋市側には昭和28年に国の史跡に指定された、古代山城「御所 ヶ谷神 ...

http://www.ishicoro.com/meiseki/utugaki/uchigaki.htm

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御所ヶ谷神籠石 で検索


国指定史跡御所ヶ谷神籠石

http://www.city.yukuhashi.fukuoka.jp/
areamap/u1/goshogatani/top.htm

指定種別 史跡
指定面積 442,475u
所在地 福岡県行橋市大字津積
福岡県京都郡勝山町大字大久保

福岡県京都郡犀川町大字木山 指定年月日 昭和28年(1953)11月14日

平成10年(1998)9月11日

「神籠石」とは何か

 久留米の高良山にある列石が古くから「神籠石(こうごいし)」と呼ばれていたため に、北部九州から瀬戸内海沿岸に分布する同種の遺跡も「神籠石」と名付けられました 。明治から大正時代にかけて、「神籠石」が何であるか論争が続きましたが、1960年代 から始まった各地の神籠石の発掘調査で列石が土の城壁(土塁)の基礎であることが確 認され古代の山城であることがわかりました。

 「神籠石」とは本来神が降臨する磐座のことですが、すでに遺跡名として定着してお り、近年では「神籠石式山城」とも呼ばれています。

築造の時期と目的

 神籠石は築造の記録が残されていませんが、発掘調査で出土した土器などから7世紀 の後半に築かれたと推定されます。

 663年、百済救援のために朝鮮半島に派兵したわが国は白村江で唐と新羅の連合軍に 敗退しました。敗戦後、唐、新羅軍の侵攻に備え防人と烽(のろし)を配置するととも に大野城、基肄城、金田城など山城を築き国防体制の強化を急ぎました。神籠石式山城 もこの戦いの前後に国土防衛のために築かれたと思われます。

御所ヶ谷神籠石の構造

 御所ヶ谷神籠石は、標高246.9mのホトギ山から西に伸びる尾根の主に北斜面に広が る遺跡です。城の外周は3qで地形の険しいホトギ山頂周辺を除いて2q以上にわたって 版築工法で土をつき固めて築いた高さ3〜5mの土塁をめぐらせています。土塁が谷を渡 る部分は排水口を備えた石塁が築かれます。7つある城門のうち中門には花崗岩の切石 を巧みに積み上げ排水口を設けた巨大な石塁が残っています。城内には建物の礎石や貯 水池の跡と思われる遺構、未完成の土塁などもあります。


有明考古学研究所日記

http://archaelog.exblog.jp/

御所ヶ谷神籠石見てある記(4)

[2006-11-21 23:40 by tarov-e-log]

http://archaelog.exblog.jp/tags/%E7%A5%9E%
E7%B1%A0%E7%9F%B3/#3859597

御所ヶ谷神籠石見てある記(3)

[2006-11-19 23:53 by tarov-e-log]

http://archaelog.exblog.jp/tags/%E7%A5%9E%E7%
B1%A0%E7%9F%B3/#3838964

御所ヶ谷神籠石見てある記(2)

[2006-11-18 18:01 by tarov-e-log]

http://archaelog.exblog.jp/tags/%E7%A5%9E%E7%
B1%A0%E7%9F%B3/#3825104

御所ヶ谷神籠石見てある記(1)

[2006-11-11 18:35 by tarov-e-log]

http://archaelog.exblog.jp/tags/%E7%A5%9E%
E7%B1%A0%E7%9F%B3/#3761016

神籠石型山城の展開-斉明天皇の朝倉橘広庭宮とその防衛網-

[2006-11-07 23:12 by ta rov-e-log]

http://archaelog.exblog.jp/tags/%E7%A5%9E%
E7%B1%A0%E7%9F%B3/#3729660


御所ヶ谷神籠石見てある記(1)

 御所ヶ谷神籠石は、福岡県行橋市大字津積(つつみ)ほかに所在する古代山城である 。  

 周防灘に面した京都平野の南部に位置し、花崗岩からなる標高246.9mのホトギ山の 北西斜面に広がる。  

 この山中に石塁や礎石群が存在することは、元禄年間には知られており、この礎石が 『日本書紀』の景行天皇条に見える長峡行宮ではないかと考えられていた。

 そのようなことから、この地を「御所ヶ谷」と呼ばれるようになったものと思われ、 ひいては京都(みやこ)郡と名づけたのだという。