私はなぜ植草一秀氏を擁護するのか(神州の 泉)


NO7484


私はなぜ植草一秀氏を擁護するのか(神州の 泉) 


ルフランさんのメール

擁護するのが困難なほどに社会的信用を落としてしまう今回の手法が成功すれば 今後は常套手段と成ってしまうかも知れません。

こんな手段を思いつく連中こそ本当の変態どもでしょうけれど。


http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/

2006年10月 6日 (金)

私はなぜ植草一秀氏を擁護するのか


敷島の 大和心のををしさは 事ある時ぞあらはれにける              (明治天皇)

(大意:わが日本国民の大和魂は、男々しいものであるが、平生はあ らはれなくも、一朝事のある時に、始めて外にあらはれるものではあるよ)

私は植草一秀と言う人物に出会ったこともなければ、勿論、話をしたこと も、手紙やメールで文字を交わしたこともない。彼の書いたものを網羅的 に読んだわけでもない。従って、彼の人柄や気風気骨、倫理道徳観、日 本観、総体的な世界観なども、直接のフィーリングとしてはまったく知らない。

 では私は今、なぜ彼を擁護し彼を庇うのか。それはいたって簡単明瞭 である。私は、植草一秀という一人の人物が、冒頭に掲げた明治天皇の 御製に則った行動を、彼が迷いなくとっていることをストレートに評価して いるからである。彼は間違いなく現代の国士である。門外漢の私が言うの もなんだが、いったい経済学者とは何であろうか。経済学者とは何を考 えて何を行う責務を担った人たちなのか。経済学者とは、古今東西の経 済学を頭に入れ、それを分析統合し、現代の実学として応用し役立てる 学者さんたちのことなのだろうか。

 自分の分際も弁えず、敢えて大言壮語をしてみるが、今の経済学者 は、それぞれが、それなりに一見鋭そうな分析を行い、見事な経済予 測や、人々に有効だと感じさせる政策提言や、近未来の展望をここぞ とばかりぶちかます。しかし、彼らの多くは、学んだ学問や自分の経験 則や試行錯誤で訓練した、その重厚で膨大な知識と応用学を日本国 民大多数の幸福に寄与するように役立てているのだろうか。正直言っ て、私には大いに疑問である。

 彼らの多くは、衒学的で空疎な経済学もどきを能弁しているだけであ る。もっと生意気なことを言わせてもらえれば、彼らはまったく役立たずなのである。無知を承知で言うが、我が国の高度経済成長期や平成に 入る直前辺りまでは、語弊はあるかもしれないが、日本型国家計画的 経済が主流であり、いわゆるケインズ的視野で経済を捉え、我が国の 経済の進展に、それなりの効果を果たしていた学者連中が多々いたよ うな気がする。

 ところが、細川護煕政権くらいを境にして、このケインズ的色彩を持った経済学者、学説が雪崩を打ったように駆逐され、平成の今となって はほとんど消滅してしまったかのように思える。しかし、それに代わり、 押しなべて台頭してきたのが、イギリスやアメリカを礼賛する新自由主 義の経済学者、そして学説なのである。東大派の学者が駆逐されて、 慶大派の学者が席巻してしまったと単純に言っていいのかどうかわか らないが、少なくとも今の経済学は新自由主義の色合いが極めて濃い ものだと感じる。

 私は、我が国の戦後の経済復興や、そのあとの高度経済成長の原 動力となったのは、日本人のDNAが為せるわざであったことは勿論な のだが、そのダイナミズムをもたらしたものは戦前精神の残存だった と確信している。その頃は、日本人は表面的には東京裁判の影響で 戦前否定をしていたが、伝統的な共同体精神は、尚も強固に残存し ていたので、工業技術や生産工学などインダストリーの分野で驚異的 な躍進を遂げて行った。これは戦艦大和の建造方式が、トヨタ生産方 式や大型タンカーなどの生産技術として花開き、ゼロ戦の技術が新幹 線の安全技術に生きたことを鑑みれば、戦後の経済復興のハードウェ アーの基盤が、戦前からの連続性に基づいていたことがわかるだろう。 そして、ソフトウェアーとしての精神的なモチベーションも戦前の残存 にあるのだが、戦後の日本人は、ここに目に見えない大きな瑕疵を内 包していた。しかし、そのことは本記事の要点から外れるので今は説 明を除外しておく。

 つまり、日本人の顕著な特徴は「和の共同体」が確立した時に大き な力を発揮するということである。この和の共同体をバンドリングし、 堅固に維持していくための求心力が国民精神の共有なのであった。 昭和30年代、そして40年代は、日本人全体に経済を立て直し、未来 を科学の力で築いていこうという、あの時代特有の共有できる目的が あった。ところが世代交代を行ううちに、戦後教育がもたらした戦後民 主主義は、国民の心を個人に向わせ、それは平成になって、ほぼ完 全なミーイズムに取って代わられたのである。

 戦後の日本人の精神相を捉えたニヒリズム、三無主義、しらけなど、 価値相対主義が増殖するに連れて、日本人から「和の共同体」が雲 散霧消して行った。個々の人間の感覚がアノミー(無連帯)に向った のである。共同体がバラけるに従って、経済学者もケインズ学派から、 ハイエク、フリードマンなどの新自由主義学派に代わって行ったので ある。しかし、それでも日本人が取り入れた新自由主義は、実効的 な経済の考え方として、適度な国家の介入を認めている前提があっ た。厳密に言うなら、日本人が比較的最近まで取ってきた経済方式 とは日本型資本主義だったのである。

 植草氏が小泉政権を初期から叩いていたのは、実は小泉政権の構 造改革の思想が間違っていることと、その政策上の一貫性がまったく ない国益毀損型の政策に終始していたからである。植草氏の経済思 想は、今は絶滅した昔の型を踏襲していながらも、無駄や非効率を取 り除くスタイルも持っている。つまり、マクロで見るならば、国家の安定 的な介入も認めるが、自己責任の実力主義も視野に入れ、その両者 の絶妙なバランスを保つことが国益経済にかなうという考え方である。

 この形こそ、日本型資本主義経済の枢要なのである。だから、亀井 静香氏が植草氏のレクチャーを真剣に受けていたのである。はっきり 言って、今メジャーになりつつある新自由主義型の経済学では日本 の再生は不可能である。滅びに向うだけである。小さな政府論の極 相は国家否定であり、そこは狂暴な経済プレデターが跋扈する弱肉 強食の無政府エリアと化していく。そして最終的には監視社会、密告 社会の「警察国家」に成り果てるのである。事実上、小泉政権がアメ リカの命令に従って、日本固有の社会構造を解体してしまい、今の 日本は警察国家になりかかっている。だからこそ、今、国策捜査 による不当な逮捕が出始めているのである。鈴木宗男、佐藤優、 西村眞悟、そして植草一秀、これからも日本の防衛を心底から 考えて活動する真の愛国者たちが狩り出されるかもしれない。

 この圧倒的な流れに対し、経済政策の分野で雄雄しくも立ち 上がり、政府を相手に堂々と反論し、国家の崩壊を食い止めよ うと孤軍奮闘する偉大な経済学者がいる。それが植草一秀氏 である。言論者の鏡である魂と誇りをもつ勇気ある人である。

 今、極悪な犯罪が連日多発していることも、小泉政権が行った極端 な新自由主義社会への構造転換に起因している。今の日本で救国 の思想をベースに持っている経済学者は植草一秀氏なのである。そ のことは、りそな疑惑を一貫して糾弾し続けている姿勢にもあらわれ ているし、彼は「あるべき金融」という本の中で次のように言っている。

「経済政策に関する考察は、優雅な経済学論争とは本質的に違うの である。経済学論争は決着がつくまでに無限に時間を費やすことが 許され、誰が正しく誰が間違っていても、それによって国民が傷つく ことはない。しかし、経済政策は現実の行政にかかるものであり、そ の失敗は直接国民生活を左右する。

 経済学の重要な役割は、現実の経済政策の立案、決定過程に貢 献することだということを忘れてはならない」(P182)

 植草氏は、エコノミストたちが無責任な発言をしたり、重要ポストに ある政治家たちに無責任な助言をすれば、結果として国が傾くと言 っているのである。小泉・竹中政権の五年間は、日本の構造をアメ リカ型の新自由主義社会へ強引に構造転換しただけではなく、国民 を裏切って、国富をアメリカに貢ぐシステムを構築してしまったのであ る。

 これを激しく糾弾し続けている植草一秀という男は掛け値なしの救 国心情に溢れている。こういうかけがえのない人物が、小泉、竹中、 世耕、飯島などの売国政治家に狙われるのは当然であろう。日本と いう国は、国家が危急存亡になると、必ず有意の人物があらわれ、 命をかけて救国的警醒活動を行う。その一人が植草一秀氏であるこ とは間違いない。日本の破壊を黙って見ていられない彼の義勇心、 義侠心が今回の境遇を招いているのである。彼の仕事はこれから である。我々国民は家族や子孫に確固とした日本という国を残して 行かなければならない。植草一秀の救国のこころざしを見抜いた者 であるなら、彼が性犯罪の位相にはないことを確信できるはずであ る。

 小泉の破壊によって日本は青息吐息、壊滅的な状態まで追い込 まれた。アメリカによる第二の経済敗戦である。なにを、馬鹿なこと を、今日本の株価は上昇傾向にあるではないかと思っている日本人 は多い。しかし、これは外資活動による一時的な現象である。実情 の日本経済は死の瀬戸際にある。今、日米の長期金利の差は3パ ーセント以上ある。日本はゼロ金利。外資はこの金利差を利用して 安い円を集め、これをアメリカで運用して儲ける。この儲けた金を日 本で運用しているから、一時的に日本の景気が良くなっているので ある。そういうシステムが作られてしまったのである。これを専門用 語では「キャリートレード」(carry trade)と言うらしい。小泉政権はこ のキャリートレードの型を恒常的に固定化してしまった。今の景気 浮揚は外資活動による皮相的現象にほかならならず、日本の自力 とは関係ない。これに気づき、早急に国を立て直さなければ我々に 未来はない。今、植草一秀という男の力が何としても必要なのであ る。


かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂  (吉田松陰)