良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4719


イシヤは改心できるか?
“カギ” “かぎ” “鍵” “嗅ぎ”で検索・抽出
 


千成記

3196(この鍵はイシヤとシカ手を握ること)

上記のページに載っている帖によると、 イシヤは、今はサタンのいいなりでも、最終的には、太陽の言われること


サタンの計画では、イシヤも滅ぼされる 対象になっている

ことを理解して、太陽に協力するようになるみたいですね。

イシヤがサタンのいいなりになっているのは、サタンに追従していれば、

「自分たちだけは天国に救われる」

と信じているからでしょう。

もし、

「自分たちイシヤも滅びの対象に組み入れられている」

なんてことが事実だったら、とんでもない話です。

太陽が、独自のカギを使って地球の歴史を知ったのなら、

「自分たちも アイカギを入手しなければならない」

と考えるのではないでしょうか。


二三三二二(アイカギ)、

、 コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。

イシヤにとって、太陽が正しいか、サタンが正しいかを判断しなければならない 瀬戸際の時代になってきたようです。

イシヤは、自分たちで太古の地球の歴史を調査する必要がありますね。


人類は、「都市攻撃」と「ノアの大洪水」によって過去に数え切れないほど、全滅させられてきた

人類は、数千年間は、地上で神サタンのペットとして飼育されるが、 最終的には、イシヤも含めて、全滅させる対象である。

この繰り返しが、地球の太古からの歴史である。

そして、今回の文明も、その全滅の時期は間近である。

全滅には「都市攻撃」と「ノアの大洪水」が用意されている。

「ノアの大洪水は、マントル層とマントル層の間の層が滑ることに よって発生する」

という太陽の主張する原理は、 正しいかもしれない、 ということが、科学的に確認されてしまった。

そうなると、 ノアの大洪水」が再度起こる可能性有り!

ことをです。

それが納得できれば、


今回だけは例外で、畜生どもが滅ぼされても、自分たちだけは、 聖書に書かれているように(神サタン)によって救われる、と考えるのは

「ちょっと待て」

「神サタンにダマされているのでは?」

「再考の余地有り!」

となると思います。

イシヤさんにとって「アイカギ」は、 太陽の言われることが正しいかどうかの、科学的検証のようです。

イシヤさんを○としますと、最終的には、太陽の言われること( )が認められて、 状態になるのかもですね。

賢いイシヤさんのことですから、もう太古の歴史の検証を終えて

「ちょっと待て」

状態にすでになっている?

しかし、イシヤさんの中にも頭の固さには個人差がありますから、 神サタン派と太陽派と の二つに別れてきている可能性もあります。

また、二つでなく三つに分かれているかもしれません。

全員が

「ちょっと待て」

「自分たちの今まで信じてきたことは、疑問の余地有り」

とは考えていないでしょう。

しかし最終的には、彼らもサタンを見限るのかも。


コノカギハイシヤトシカ テニギルコトゾ

シカがわかりませんでしたが、 歴史家のことかもしれません。

歴史家は史家とも言います。

イシヤは史家の調査の結果を信用する→テニギルコトゾ

イシヤさんは“史家”と手を握り、真実の箱を 開く“アイカギ”入手して「都市攻撃」に備える!

イシヤさん、がんばって備えましょう!

サタンにそそのかされて地上で第三次世界大戦なんかやってる場合ではなさそうですね。

サタンに追従してきた今までのいきさつもあるでしょうから、 計画された第三次世界大戦は止められないにしても、規模をこっそり縮小して 対宇宙戦争に使う武器をストックしておきましょう。


julaさんのメール

jula です。

“カギ” “かぎ” “鍵” “嗅ぎ” などで検索抽出してみました。

イシヤ=ユダヤとするよりも、


イシヤ=フリーメーソン≒実際に社会を引っ張っている
(引っ掻き回しているという方が良さそうですが・・・)

リーダー層とした方が自然そうですね。

ユダヤにまんまと乗っ取られてズタズタにされたフリーメーソンであれば、 ユダヤのやり方、企み、真意が理解できれば、必然的に反発したくなるでしょう。

元々のフリーメーソンは大工屋、石工など、ある意味技能工だったのではないでしょうか。

自らの技能を生かし生活、社会に実際に貢献していた事でしょう。

個人の家建築などに限らず公共事業との関わりが深かったからこそ権力、 力を持つものと結びつく傾向が強かったのではないでしょうか?


一方でユダヤ教こそが唯一信ずべき物。

世界はそもそも正統なるユダヤの後継達のみのためにある、 そう信じて疑わず、そのためには何でもやってのける者達が改心できるとは到底思えません。

またノアの大洪水については、その時こそ携挙によって救済されると信じていると思われます。


岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、

この仕組、言ふてはならず、

言はねば臣民には分らんし、

神苦しいぞ、

早う神心になりて呉れと申すのぞ、

身魂の洗濯いそぐのぞ。

二三三二二(アイカギ)、

コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。

一二(ひつくのかみ)、

七月の二十八日。

下つ巻 第22帖 (064)

特殊文字 


julaさんのメール

二三三二二(アイカギ)

二三 と 三二 が二つで合鍵

合鍵を合わせて 

コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ


同じ名の神二人居るぞ。

どちらか一方が本物という訳でなく、表裏一体といったところではないでしょうか?


ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第九帖(222)

昭和十九年十二月八日、

旧十月二十三日(1944年)

人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、

まつはれば人でなく神となるのぞ、

それが真実(まこと)の神の世ぞ、

神は人にまつはるのざぞ、

と申してあろが、

戦も壊し合ふのでは無いぞ、

とまつらふことぞ、

岩戸開く一つの鍵ざぞ、

和すことぞ、

神国真中に和すことぞ。

それには掃除せなならんぞ、

それが今度の戦ぞ、

戦の大将が神祀らねばならんぞ。

二四(にし)は剣(つるぎ)ざぞ。

神まつりは神主ばかりするのではないぞ、

剣と鏡とまつらなならんぞ、

まつはれば霊(たま)となるのざぞ。

霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、

政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ。

天の天照皇大神様は更なり、

天の大神様、

地(くに)の天照大神様、

天照皇太神様、

月の神様、

特に篤く祀り呉れよ、

月の大神様 御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ。

素盞鳴の大神様も篤く祀りて呉れよ、

此の神様には毎夜毎日御詑びせなならんのざぞ、

此の世の罪穢(つみけがれ)負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、

地の御神様、土の神様ぞ、

祓ひ清めの御神様ぞ、

国々の産土の神様 祀り呉れよ、

遅くなればなる程 苦しくなるのざぞ、

人ばかりでないぞ。

十二月八日、

ひつ九のか三。

使用された特殊文字  


いくさ何時も勝と許りはかぎらんぞ、

春まけとなるぞ、

いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、

神の国の神の道は大丈夫であるなれど、

日本臣民 大丈夫とは申されんぞ、

その心の通りになること忘れるなよ、

早うミタマ磨いてくれよ、

も少し戦すすむと、

これはどうしたことか、

こんなはづではなかったなあと、

どちらの臣民も見当とれん、

どうすることも出来んことになると知らしてあろが、

さうなってからでは遅いからそれ迄に、

この神示よんで、

その時にはどうするかと云ふこと判りて居らんと仕組成就せんぞ、

役員の大切の役目ざぞ、

われの思いすてて了ふて早うこの神示、

穴のあく程うらの裏まで肚に入れておいてくれよ、

この神示の終りに、

神強く頼むぞよ。

旧十一月三十日、

の一二の

磐戸の巻 第20帖 (256)

使用された特殊文字 


用意なされよ。

いよいよざぞ、

愈々九三(くるぞ)。

神のみこと知らすぞ。

知らすぞ、

眼覚めたら起き上がるのざぞ。

起きたらその日の命頂いたのざぞ。

感謝せよ、

大親に感謝、

親に感謝せよ、

感謝すればその日の仕事与へられるぞ。

仕事とは嘉事(よこと)であるぞ、

持ち切れぬ程の仕事与へられるぞ。

仕事は命ざぞ。

仕事喜んで仕へ奉れ。

我出すと曇り出るぞ。

曇ると仕事わからなくなるぞ。

腹へったらおせよ。

二分は大親に臣民腹八分でよいぞ。

人民食べるだけは与へてあるぞ。

貪(むさぶ)るから足らなくなるのざぞ。

減らんのに食べるでないぞ。

食(おせ)よ。

おせよ。

一日一度からやり直せよ。

ほんのしばらくでよいぞ。

神の道 無理ないと申してあろが。

水流れる様に楽し楽しで暮せるのざぞ、

どんな時どんな所でも楽に暮せるのざぞ。

穴埋めるでないぞ、

穴要るのざぞ。

苦しいという声 此の方嫌ひざ。

苦と楽 共にみてよ、

苦の動くのが楽ざぞ。

生れ赤児みよ。

子見よ、神は親であるから人民守ってゐるのざぞ。

大きなれば旅にも出すぞ、

旅の苦 楽しめよ、

楽しいものざぞ。

眠くなったら眠れよ、

それが神の道ぞ。

神のこときく道ざぞ。

無理することは曲ることざぞ。

無理と申して我儘無理ではないぞ、

逆行くこと無理と申すのざ。

無理することは曲ることざ、

曲っては神のミコト聞こへんぞ。

素直になれ。

火降るぞ。

相手七と出たら三と受けよ、

四と出たら六とつぐなへよ、

九と出たら一とうけよ、

二と出たら八と足して、

それぞれに十となる様に和せよ。

まつりの一つの道ざぞ。

(おう)の世 (おう) の世にせなならんのざぞ、

今は(をう)の世ざぞ、

(わう)の世の 世となりて、

(おう)の世に 入れて(おう)の世となるのざぞ。

タマなくなってゐると申してあろがな、

タマの中に仮の奥山移せよ、

急がいでもよいぞ、

臣民の肉体 神の宮となる時ざぞ、

当分 宮なくてもよいぞ。

やがては二二(ふじ)に九(コ)の花咲くのざぞ、

見事二二(ふじ)に九(こ)の火(ほ)が鎮まって、

世界治めるのざぞ、

それまでは仮でよいぞ、

臣民の肉体に一時は静まって、

此の世の仕事仕組みて、

天地でんぐり返して光の世といたすのぢゃ。

花咲く御代近づいたぞ。

用意なされよ、

用意の時しばし与えるから、

神の申すうち用意しておかんと、

とんでもないことになるのざぞ。

の世輝くととなるのざぞ、

と申して知らしてあろがな。

役員それぞれのまとひつくれよ、

何れも長(おさ)になる身魂でないか。

我軽しめる事は神軽くすることざ、

わかりたか。

おのもおのも頭領であるぞ、

釈迦ざぞ。

キリストざぞ。

その上に神ますのざぞ、

その上 神又ひとたばにするのざぞ、

その上に又でくくるぞ、

その上にもあるのざぞ、

上も下も限りないのざぞ。

奥山 何処に変っても宜いぞ、

当分 肉体へおさまるから何処へ行ってもこの方の国ぞ、

肉体ぞ、

心配せずに、グングンとやれよ、

動くところ、神力 加はるのざぞ、

人民のまどひは神無きまどひぞ、

神無きまどひつくるでないぞ、

神上に真中(まなか)に集まれよ。

騒動待つ心 悪と申してあること忘れるなよ、

神の申した事ちっとも間違ひないこと、

少しは判りたであろがな。

同じ名の神 二柱あるのざぞ、

善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、

神示よめば見分けられるように、

よく細かに解(と)いてあるのざぞ、

善と悪と間違ひしてゐると、

くどう気付けてあろがな、

岩戸開く一つの鍵ざぞ、

名同じでも裏表ざぞ、

裏表と思ふなよ、

頭と尻 違ふのざぞ。

千引(ちびき)の岩戸開けるぞ。

十二月二十五日、

ひつぐのかミ。

風の巻 第01帖 (352)

使用さされた特殊文字      


一八(いわ)の巻 書き知らすぞ。

一八は弥栄。

が神ざぞ。

が神ざと申してあろう。

悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。

人民 悪いこと好きでするのでないぞ、

知らず知らずに致してゐるのであるぞ。

神にも見(み)のあやまり、

聞きのあやまりあるのざぞ。

元の神には無いなれど、下々の神にはあるのざぞ。

それで見なほし、聞きなほしと申してあるのざぞ。

元の神には見直し聞きなほしはないのざぞ、

スサナルの大神様 鼻の神様 かぎ直しないぞ、

かぎのあやまりはないのざぞ。

人民でも、かぎの間違ひないのざぞ。

鼻のあやまりないのざぞ。

スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。

間違ひの神々様、

この世の罪けがれを、

この神様にきせて、

無理やりに北に押込めなされたのざぞ。

それでこの地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらしたのざ。

それで人皇の世と曇りけがして、

つくりかへ、

仏の世となりて、

さらにまぜこぜにしてしまふて、

わからんことになりて、

キリストの世にいたして、

さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、

悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ、

わかりたか。

釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、

今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ。

同じ神二つあると申してあらうがな。

なくなってゐるのざぞ、

ないざぞ、

でないと、まことできんのざぞ、

わかりたか。

なきもの悪ざぞ、

は霊ぞ、火ぞ、一(はじめ)ざぞ。

くらがりの世となってゐるのも、

ないからざぞ。

この道理わかるであらうがな。

旧一月十五日、

かのととりの日、

一二

岩の巻 第01帖 (366)

使用さされた特殊文字     


考えること、意志すること、行為することの根本は、

肉体からではない。

霊的な内奥の自分からである。

この内奥の自分は、神につながっている。

故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、

自分と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うているのである。

其処に、人が地上に於ける司宰者たる、

また、たり得る本質がある。

地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、

地上にあった時と同様に意識があり、

同様の感覚がある。

これによって、人の本体たる霊は、

生前同様に、霊界でも見、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、

生活することが出来るのである。

しかし肉体をすてて、霊体のみとなり、

霊界で活動するのであるから、

物質は衣にすぎないことが判明する。

肉体をもっている地上人の場合は、

その肺臓が想念の現われとなって呼吸する。

霊界に入った時は、

霊体の肺臓が同様の役目を果たすようになっている。

また、心臓は、その情動の現われとなって脈打つ。

霊体となってもまた同様であることを知らねばならぬ。

この二つのうごきが、一貫せる生命の現われであって、

生前も、生存中も、死後も、また同様である。

肉体の呼吸と脈拍とは、

新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、

死の直後に霊体が完全するまでは、

肉体のそれは停止されないのである。

かくて、霊界に入った霊人たちは、

総て生存時と同じ想念をもっている。

為に死後の最初の生活は生存時と殆ど同一であることが判明するであろう。

故に、其処には地上と同様、あらゆる集団と、

限りなき段階とが生じている。

而して、霊界に於ては、先に述べた如き状態であるが故に、

各人の歓喜は、死後の世界に於ても、

生前の世界に於ても、

これに対応する霊的の事物と変じて現われるものである。

この霊的事物は、地上の物質的事物に対応する。

人間が、物質界にいる時は、

それに対応した物質の衣、即ち肉体をもち、

霊界に入った時はそれに相応した霊体をもつ。

そして、それはまた完全なる人間の形であり、

人間の形は、霊人の形であり、

神の形であり、

更に大宇宙そのものの形である。

大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、

目も、鼻も、口も、耳もあり、

又内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があって、

常に大歓喜し、呼吸し、脈打っていることを知らねばならない。

大歓喜は無限であり、

且つ永遠に進展して行くのである。

変化、進展、弥栄せぬものは歓喜ではない。

歓喜は心臓として脈打ち、

肺臓として呼吸し発展する。

故に、歓喜は肺臓と心臓とを有する。

この二つは、あらゆるものに共通であって、

植物にもあり、鉱物にすら存在するものである。

人間の場合は、その最も高度にして精妙なる根本の心臓と肺臓に通ずる最奥の組織を有する。

これはもはや心臓と表現するには あまりにも精妙にして、

且つ深い広い愛であり、

肺臓として呼吸するにはあまりにも高く精巧なる真理である。

而して、この二者は一体にして同時に、同位のものとなっていることを知らねばならない。

それは心臓としての脈拍でもなく、

肺臓としての呼吸でもない。

表現極めて困難なる神秘的二つのものが一体であり、

二つであり、三つの現われである。

其処に人間としての、他の動物に比して異なるもの、

即ち、大神より直流し来るものを感得し、

それを行為し得る独特のものを有しているのである。

人間が、一度 死の関門をくぐり、

肉体をすてた場合は、

霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、

それは直ちに変化するものではなくして、

漸次その状態に入るのである。

第一は極外の状態、

第二は外の状態、

第三は内的状態、

第四は極内的状態、

第五は新しき霊的生活への準備的状態である。

七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け、

三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのである。

地震の巻 第16帖 (393)


「ヤマタ」の「オロチ」を始め 悪の神々様まつり呉れよ、

心して結構にまつり始め下されよ。

この事 役員のみ心得よ、

岩戸開く一つの鍵ざぞ、

この巻、まつりの巻、

八月三十日、

一二

マツリの巻 第22帖 (426)

使用さされた特殊文字 


同じ名の神二つあると申してあろ、

同じ悪にも亦二つあるのぢゃ、

この事 神界の火水ぞ、

この事判ると仕組段々とけて来るのざぞ、

鍵ざぞ。

七人に伝へよ、と申してあろ、始めの七人大切ざぞ、

今度はしくじられんのざぞ、

神の仕組 間違ひないなれど、

人民しくじると、しくじった人民 可哀想なから、

くどう申しつけてあるのざぞ、

よう分けて聞きとりて折角のエニシと時を外すでないぞ、

世界中の事ざから、

いくらでも代へ身魂、代りの集団(まどひ) つくりてあるのざぞ。

尊い身魂と、尊い血統、忘れるでないぞ。

型は気の毒ながらこの中から。

八月四日、

一二

青葉の巻 第13帖 (482)


みぎりの民(水・・・月、真智)とひだりの民(火・・・太陽、愛善)


黄金の巻 第086帖 (597)

一分一厘、力一杯、違はんこと書かしてあるのぢゃ。

色眼鏡で見るから、

違ったことに見えるのぢゃ。

神示、嘘ぢゃと申すやうになるのぞ。

眼鏡外して、落ち付いてみて、

ハラで見て下されよ。

世の先々のことまで はっきりと写るぞ。

そなたの心の中にゐる獣(ケダモノ)、 言向けねばならん。

善きに導かねばならん。

一生かかってもよいぞ。

それが天国に行く鍵であるぞ。

マコトの改心であるぞ。

智慧と、愛が主の座に居らねばならん。

物は愛から生れるぞ。

ウムものがもとぢゃ。

生まれるものはナルのぢゃ。

ナルには智慧でなるのぢゃぞ。

(一月三日)


むつかしいこと申さずに、

ひらたう解けと申してあらうが。

ミタマは上中下三段、

三段にわけて説いて聞かせねば仕組おくれるぞ。

はじめは神様がして下さるが、

向上すると自分でせねばならん。

いつ迄も神を使ってゐてはならんぞ。

理解は真から、

意志は善からであるが、

今迄はそれでよいと説いて来たが、

愈々イワトびらきとなったのであるから、

二(ツキ)の鍵わたすから、

よく心得よ。

今迄の教ではマボロシぞ。

力ないぞ。

まつり合せて意志と働き、

入れて理解出来るのであるぞ。

まつりまつりと申してあらう。

上のまつりぞ。

マボロシとは人間智慧のこと。

理屈のことぢゃ。

理屈とは悪の学のことぢゃ。

理でなければならぬ。

(一月二十二日)

黒鉄の巻 第10帖 (628)

使用さされた特殊文字 


無くて七癖、七七四十九癖、

悪い癖 直して下されよ。

天国へ行く鍵ぞ。

直せば直しただけ外へひびくものが、

かわって来るぞ。

よくなってくるぞ。

かわって来れば、外からくるもの、

自分に来るもの、かわってくるぞ。

よくなってくるぞ。

幸となるぞ。

よろこび満ち満つぞ。

神みちみちて天国ぢゃ。

一升桝もってきて一斗入れよと人民申しているが、

神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、

一升桝には一升しか入らん。

大き桝もって来い。

頂くには頂くだけの資格いるぞ。

一歩づつ進め。一歩づつ絶えず進めよ。

それより他に道はないのぢゃ。

春の巻 第12帖 (669)


この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、

死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、

これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。

岩戸開きの鍵であったが、

今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。

始めにがなくてはならん、

は神ぞ。

至恩の巻 第04帖(951)

使用された特殊文字 


国常立神も素盞鳴命も大国主命も、

総て地(智)にゆかりのある神々は皆、

九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、

地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、

天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、

これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、

これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。

至恩の巻 第10帖(957)


千成の返事

julaさん、分析ありがとうございます。

「ユダヤが改心するとは思えない」

というjulaさんの分析です。

julaさんにそう指摘されると、

「やっぱり、ユダヤには無理かも」

と思えてきます。

一度、ユダヤの人に聞いてみたいですが、こちらから質問した ところで、本音を教えてくれるはずないでしょうし。。。


二三 と 三二 が二つで合鍵

なるほど、納得ですね。


同じ神二つあると申してあらうがな。

なくなってゐるのざぞ、

ないざぞ、

でないと、まことできんのざぞ、

わかりたか。

なきもの悪ざぞ、

は霊ぞ、火ぞ、一(はじめ)ざぞ。

二三には一()が無い状態なんですね。

というと○なのでしょうか?

悪にも二つあるらしいので、○(二三)と○(三二)で二つの悪 を表現しているのでしょうか?


おしゃべりサルさんのメール

さるです。

皆さん、ご苦労様です(^^)。

ユダヤが改心するとは思えないという事ですが、 以前のメールでも


悪の御用をされてる方が、もしも気付く事が出来れば、 庶民の命を守る事が高いレベルで可能という事ですね。

ぜひ、早い時点で気付かれる事を祈ります(^^)。

その為に、今の時代に存在しておられる方もいるのでしょう?

イシヤの方々、自分達の為にもよろしく。

その境遇で気付くのは難しいでしょうが。

甘いかな?

と言いましたが、今もさるの考えは、変わりません。

何とか改心して、気付いて欲しいと思ってます。

なぜならば、それが人間社会での一厘の仕組みではないかと、さるには思えるからです。

今の状態では、ほとんど無理と思える事だから、一厘だと感じています。


千成の返事

おしゃべりサルさん、もももしも、ユダヤが改心したら、人類が団結 できるという面からは、とんでもない (素晴らしい)ことになりますよね。

確かに、不可能に近いので、これが実現すれば、“一厘の仕組”と言えそう。

でも、julaさんの鋭い分析では、絶対そんなこと無理っぽいし!

「イシヤが改心する」

っていうことを臭わせている帖は無いもんでしょうか!

悪を抱き参らせるのは不可能か、可能か!

う〜ん。

寝られなくなりそう!


トッチさんのメール

トッチです。

石屋も木こりもお代官も、皆等しくミロクの子ですので、本人次第で改心も出来ますしメクラにもなれるのでしょう。

ただ、生まれ育った環境が大きく影響するのではないでしょうか。

例えば、王族のように物心ついた頃から帝王学を叩き込まれ、それが通常で当たり前の感性を作り上げられてしまうと、そこから抜け出し、気が付く事は非常に困難になるものと思います。

私達のような一般の人間でも、改心はおろか、どう改心するべきかに関心を向けることすらままならないのが大多数ですので、特殊な環境に生きる人は尚更改心は遠いでしょう。

「平家に非ずは人にあらず」

などは、大きな慢心で論外ですが、ユダヤ支配層は、ユダヤ教と言う信仰が、改心するにはネックとなるのだと思います。

「我々は選ばれた特別な存在であり、予言でも語られている」

選民思想の囚われを、強く信仰するが故に気付き得ない。

悪の大元(サタン)は、こんな所でも宗教を巧みに利用しているものと思います。

そして、仮に気付いて逸脱する気配を見せようものなら、同胞に抹殺される危険にさらされるのでしたら、恵まれた環境をあえて捨てる事など中々出来ないでしょう。

とは言うものの、イシヤも人間である以上、やはり身魂の奥底には元神から連なる宝が眠っているはずですから、与えられた人生の中で気付いて改心するかしないかは、本人次第でしょうね。

それは私達一般人と何ら変らない道理だと思います。

石屋とは言いませんが、ミロクとご縁のある支配側の立場の人は少ないにしろ存在すると思います。

本当は、人類全員が改心しなければ嘘なのでしょうけど、その難しさを考えれば、消費税より少ないパーセンテージは十分頷けますね。

なんて考えています。


おしゃべりサルさんのメール

千成さん

さるです

「もももしも、ユダヤが改心したらっていうことを臭わせている帖は無いもんでしょうか!」

現在のところは臭いの「に」の字も無いでしょうが、 下記の帖なんてどどどうでしょう?

何だか、かすかに匂いませんでしょうか?

一厘は悪の中に隠してあると、ここでは言ってます。

勘違いされると困りますので断っておきますが、さるはべつに石屋の味方はしていません。


よき神にはよき御用、

悪き神には悪き御用、

自分で自分がつとめあげるのぢゃ、

人になんと云はれても腹の立つ様では御用六ヶ敷いぞ、

腹立つのは慢心ぢゃと申してあろがな。

仕組途中でグレンと変り、

カラリと変る仕組してあるのぢゃ、

其処に一厘の仕組、

火水の仕組、

富士と鳴門の仕組、

結構々々大切致してあるのぢゃ。

仕組変り変りて人民には判らんなり、

よき世と致すのぢゃ、

いくら智あっても人間心では出来ん仕組ぞ、

捨てて神にすがりて来ねば分らん仕組ぢゃ、

と云ふて人間世界は人間の智いるのぢゃ、

智でない智を神が与へるぞ、

神人共にと申してあろがな、

つとめ上げたら他にない結構な御用。

八月三日、

ひつ九

青葉の巻 第10帖 (479)

使用された特殊文字 


この神示読むとミタマ磨けるぞ、

ミガケルぞ。

神示読むと改心出来るぞ。

暮し向きも無理なく結構にヤサカ、

弥栄えるぞ。

まだ判らんのか。

苦しいのは神示読まんからぢゃ。

金の世すみて、キンの世来るぞ。

三年目、五年目、七年目ぢゃ、

心得なされよ。

欲しいもの欲しい時食べよ。

低うなるから流れて来るのぢゃ。

高うなって天狗ではならん道理。

頭下げると流れ来るぞ。

喜び、愛から来るぞ。

神様も神様を拝み、

神の道を聞くのであるぞ。

それはとによって自分のものとなるのぢゃ。

融けるのぢゃ。

一つ境があるぞ。

世界の人民一人一柱 守りの神つけてあるぞ。

人に説くには人がいるぞ。

役員 取違ひしてゐるぞ。

われよし信仰だからぞ。

あまり大き過ぎるから判らんのも道理ながら、

判らんでは済まん時来てゐるぞ。

いざと云ふ時は日頃の真心もの云ふぞ。

付け焼刃は付け焼刃。

神拝むとは、頭ばかり下げることでないぞ。

内の生活することぞ。

内外共でなくてはならん。

残る一厘は悪の中に隠してあるぞ。

かのととり。

一二十

黄金の巻 第023帖 (534)

使用さされた特殊文字  


極めの巻 第11帖 (938)

陽(ひ)あたりのことと、

陽かげのことと一時に出て来るのぢゃ、

タテコワシとタテナホシが一時にくるのぢゃ、

神の申した通りになって居ろうがな、

学で説くと学の鬼に囚われるぞ、

智で説くと智の、

理で解くと理の鬼に囚われる、

このままに伝へて下されよ。

天の世界も潰してはならん、

地の世界も潰すわけには参らんが、

地上の事は潰さねば建直し六ヶ敷いなれど、

見て御座れよ、

一厘(理云)(リン)の火水でデングリ返して、

見事なことをお目にかけるぞ。


世界中を泥の海にせねばならんところまで、それより他に道のない所まで押しせまって来たのであるが、

尚一厘のてだてはあるのぢゃ。

大神様におわび申してすっかり心を改めて下されよ。

神々さまも人民さまも心得ちがひ多いぞ。

泥の海となる直前にグレンとひっくりかえし、びっくりの道あるぞ。

月光の巻 第48帖 (835)