■平易意訳■
そなたの用意が足りませんよ。 日々の人間の御用(やるべきこと)を、神の御用と和す(調和する、方向性を整える)ように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのが真・誠の道であり、永久に繁栄する道であり大歓喜であるのです。
いつでも神かかれるように神かかっているように、神かかっていても、自分にも他にも判らないようになって下さい。 鍬を取る百姓が己を忘れ、大地を忘れ、鍬を忘れている境地が、誠・真の
身魂鎮めであり、神懸かりなのです。 そこら(その辺り=自分の身の回り、もしくは神かかりの境地にいたる過程)でする行も、神かかりの境地にいたる一つの道ですが、それのみではなりませんよ。 他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではありませんよ。
そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けなければなりません。 人を助ければその人は神が助けるのですよ。 この道理何故判りませんか。 人を助けずに我を助けてくれと云っても、
それは我良しで無理というもの。 神にも道は曲げられませんよ。
神かかりになるためには、人間である自分の御用(現実界で行っていること?)を、神の御用と
和す事が必要であるようです。
いつでも神かかれるように神かかっているように、神かかっていても、自分にも他にも判らないようになって下さい。 鍬を取る百姓が己を忘れ、大地を忘れ、鍬を忘れている境地が、誠・真の身魂鎮めであり、神懸かりなのです。
ここで、啓示や長い言葉のメッセージとして明確なビジョンなどを見せる存在による神かかりとは違うと区別されています。
自らが考え動き、自分の苦労によって人を救うことを行えば、神はその人を助けるようです。
月光の巻は、神懸かりのことなども理解した方々ならば、判別できるようになっていくような内容を含んでいるような印象がします。
昨年の金と銀さんの掲示板への乱入の意図は、わざと怒らせるような内容を投稿し、怒りの霊線で繋げてしまえばたやすく解読も方向性もミスリード出来るという意図の元に行っていた行動かも知れませんね。
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