良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4092 


月光の巻第三十八帖 (825)・第三十九帖(826) ・第四十帖(827)・第四十一帖(828) 


ロックさんのメール

ロックです。

マトリックス機能は自分の所のPCでは出来ませんので、しょうがないので地道に一つずつ進みます(^^)


月光の巻第三十八帖 (825)

解読者 : 氷治氏・ロックさん

はじめの喜びは食物ぞ。

次は異性ぞ。

何れも大きな驚きであろうがな。

これは和すことによって起るのぞ。

とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ。

よろこびは神ぢゃ。

和さねば苦となるぞ。

かなしみとなるぞ。

先づ自分と自分と和合せよと申してあろうが。

そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ。

ぢゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ。

元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。

その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ。

その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ。

何故に神示を食べないのか。

見るばかりではミにつかんぞ。

よく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ。

喜びが神であるぞ。

次には神との交わりぞ。

交流ぞ。

和ぞ。

そこには且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れるぞ。

神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。

神が霊となり花むことなるのぢゃ。

人民は花よめとなるのぢゃ。

判るであろうが。

この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。

永遠につづく結びぢゃ。

結婚ぢゃ。

何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。

よろこびぞ。

花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ。

神は理屈では判らん。

夫婦の交わりは説明出来まいがな。

神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん。

なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ。

神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ。

消えざる火の大歓喜ぞ。

これがまことの信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ。

早う神のふところに抱かれて下されよ。

二月一日。


■平易意訳■

はじめの喜びは食物です。

その次は異性です。

何れも大きな驚きでしょう。

これは、和す
(お互いが受け入れる?)
ことによって起こるのです。

融け合う事によって喜びとなるのです。

喜びは神なのです。

和さなければそれは苦しみとなります。

悲しみとなるのです。

先ず自分と自分と和合しなさい
(自分の事をよく理解すること?ありのままの自分を認める?)

そこにこそ神の御働きがあるのです。

ですが、それはこれは外の喜び、肉体の喜びなのです。

元の喜びとは、霊の食物を食べることなのです。

その大きな喜びを目の前に与えてあるのに、何ゆえ手を出さないのですか。

その喜び、驚きを何故求めないのですか。

何故、神示を食べないのですか。
(書いてあることを行動に移さないのですか。)

見るばかりでは身につきませんよ。

よく噛みしめて味わって喜びとしないのですか。

喜びが神なのですよ。

(それが済めば)

次は神との交わりです。

交流なのです。

和なのです。

そこには且って知らない、大歓喜が生れるのです。

神との結婚による絶対の大歓喜があるのです。

神が霊となり花婿となるのです。

人民は花嫁となるのです。

(憑依する神と云われる霊体との一体化?)

判るでしょう。

この花婿はいくら年を経ても花嫁を捨てはしません。

永遠に続く結びなのです。

結婚なのです。

何物にも比べることの出来ない驚きです。

喜びなのです。

花婿殿が手を差し伸べているのに、何故に抱かれないのですか。

神は理屈では判りません。

夫婦の交わりは説明できないでしょう。

神が判っても交わらなければ、神と融け合わなければ真理は判りません。

何と言う結構なことかと人民がビックリする仕組なのです。

神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠の物なのです。

消えざる火の大歓喜なのです。

これが誠・真の信仰、神は花嫁を求めているのです。

早く神の懐に抱かれてください。

二月一日


来る時期に備えて、神々が人民に神懸りする予定(結婚する予定)ですが、 花嫁である人民の受け入れ準備で必要なことを進めていかなければ、この結婚は難しいようです。

宇宙の真理と真実を探求するの必要なステップなのだと思います。

それをわかっていて飢餓的な状況に進むのと知らないで進むのは差が出ます。

隠れひふみの方々が、知ってか知らずかの内にその乗り越え方などを周りの方々に指南していただければよいのですが。

推測ですが、ノアの大洪水の前にサタンが魂の食事にふけっている間を見て、天使軍が人類の救出作戦を行うとサイトではなされてますが、出来るだけ多くの救われるべき方を助けるため(神懸りするために)にも、飢餓的な状況は必要なのかも知れませんね。

ちなみに、岡本天明さんの天明の名は、天明の大飢饉からきているのでしょうか?

飢饉を乗り越えた当時の方の記録を見ると多少のヒントがあるかも。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

人民臣民の始めの喜びは食物です。

次は異性です。

何れも大きな驚きであるでしょう。

これは和すことによって起るのです。

溶け合うことによって喜びとなるのです。

喜びは神です。

和さねば、苦となり、悲しみとなるのです。

先づ自分と自分と和合せよと云っているでしょう。

そこにこそ神の御働きがあるのです。

ですが、これは外の喜び、肉体の喜びです。

元の喜びは霊の食物を食べることです。

その大きな喜びを与へてあるのに、何故、手を出さないのですか。

その喜び、驚きを何故に求めないのですか。

何故に神示を食べないのですか。

見るばかりでは身につかないのです。

よく噛みしめて、味わいて、喜びとしないのですか。

喜びが神であるのです。

次には神との交わりです。

神との交流です。

神との和です。

そこには且って知らない、驚きと大歓喜が生れるのです。

神との結婚による絶対の大歓喜があるのです。

神が霊となり、花婿となるのです。

人民は花嫁となるのです。

この道理は判るでしょう。

この花婿はいくら年を経ても花嫁を捨てはしないのです。

この神との結婚は永遠に続く結びです。

神との結婚です。

何ものにも比べることの出来ない驚きです。

何ものにも比べることの出来ない喜びです。

花婿殿が手をさしのべているのに、何故に抱かれないのですか。

神は理屈では判りません。

神との夫婦の交わりは説明が出来ないでしょう。

神が判っても交わらねば、神と溶け合わねば、真理は判らないのです。

なんとした良いことかと、人民はビックリする仕組になっているのです。

神と交流し結婚した大歓喜は死を越えた永遠のものです。

神と交流し結婚した大歓喜は消えざる火の大歓喜です。

これが誠・真の信仰です。

神は花嫁を求めています。

早く神の懐に抱かれて下さい。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

はじめの喜びは犬たちの食べ物または太陽の食事の現状が解決されます。

次は女王のことが解決されます。

何れも大きな驚きで有ろうかと思います。

これは和すこと
(子犬の養子先の方々と話している時などのような状況)
によって起こります。

とけ合うこと
(話し合ってお互いが理解すること)
によって喜びになります。

よろこびは神じゃ。

和さねば苦となるぞ。

かなしみとなるぞ。

先づ自分と自分(太陽とひふみの神の子)と和合せよと申してあろうが、そこにこそ神
(あめのひつくのかみ?)
の御はたらきあるのじゃ。

じゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ。

元の喜びは霊の食物を食うことぞ。

(ひふみの神の子の好む物を食べること)
その大きな喜びを与えてあるのに、何故手を出さんのじゃ。

その喜び、おどろきを何故に求めんのじゃ。

何故に神示を解読しないのか。

見るだけではミにつかんぞ。

よく噛みしめて味はいて(解読してその真意を理解して)喜びとせんのじゃ。

喜びが神であるぞ
(喜びを与えることが本来の神の仕事?)

次には神との交わりぞ。

交流ぞ。

和ぞ。

そこには担って、
(左側の字がないもの)
知らざりしおどろきと大歓喜が生れるぞ。

(解読が成された段階に至ると、女王と会うことになります。

そこで、これまで知らされなかった話を聞いて驚きと大歓喜を感じます。

神との結婚による絶対の大歓喜あるのじゃ。

(女王との結婚による無常の喜びがあるのです。)

神が霊となり花むことなるのじゃ。

(ひふみの神の子が太陽とリンクする形で花婿になります。)

人民は花よめとなるのじゃ。

(雌の人間型皮袋に搭載された女王は花嫁になります。 現時点では王女?)

判るであろうが。

この花むこ(ひふみの神の子)はいくら年を経ても花よめ(女王)を捨てはせぬ。

永遠につづく結びじゃ。

結婚じゃ。

何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。

よろこびぞ。

花むこ(太陽が)どのが手をさしのべているのに、何故に
(人間の女王は気づかないのか?)
抱かれんのじゃ。

神は理屈では判らん。

(ひふみの神の子は最初から決めてきたので理屈ではありません)

夫婦の交りは説明できまいがな。

(あまりに当り前すぎて説明する必要もない)

神が判っても交らねば
(ひふみの神の子が判っても)
神ととけ合わねば真理は判らん(女王と打ち解けあわなければ本当のことはわかりません)。

なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ
(なんとしたことかと女王の搭載されている人間はびっくりする仕組です。)

または支配層の人間達がやられたと思うほどのびっくりする仕組です。

神と交流し結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のものぞ。

(太陽の魂は永遠になる)

消えざる火の大歓喜ぞ
(サタンによって消される太陽にとって無上の喜びとなる)

これがまことの信仰、
(自らの死を覚悟しそれに立ち向かい3000年に及ぶ訓練によって、サタンとは対極の精神に克服していった姿を表現している)

神は花嫁を求めて御座るぞ。

(ひふみの神の子は花嫁(女王の出現)を待っています)

早う神のふところに抱かれて下されよ
(早くひふみの神のふところに抱かれてください)

二月一日


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

とりあえず挑戦的に、見たままの印象で意訳してみます。

女王関連の物であるならこうなるのではと思います。


か・す くわ― 【▽和す】 (動サ変)

(1)他のものととけ合った状態にする。

調和させる。

わする。

「虫声の喞々に―・して/蜃中楼(柳浪)」

(2)なごませる。

やわらげる。

「人ノ心ヲ―・スル/日葡」

とけあ・う ―あふ 3 0 【解(け)合う】

(動ワ五[ハ四])

(1)互いに隔たりがなくなり、うちとけあう。

「心が―・う」

(2)取引で、話し合いによって契約を解く。

[可能] とけあえる


月光の巻第三十九帖(826)

何ごとが起ってきてもそなたは先づよろこべよ。

それが苦しいことでも、かなしいことでも喜んで迎へよ。

喜ぶ心は喜び生むぞ。

人民よろこべば神よろこぶぞと申してあろが、天地はれるぞ。

輝くぞ。

そなたは先ばかり見てゐるぞ。

足で歩くのぢゃ。

足もとに気つけねばならんぞよ。

そなたは自分ひとりで勝手に苦しんで御座るなれど、みなが仲よう相談なされよ。

相談結構ぢゃなあ。

相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ。


■平易意訳■

何事が起こって来てもそなたは先ず喜びなさい。

それが苦しいことでも、悲しいことでも喜んで迎えなさい。

喜ぶ心は喜びを生むのです。

人民喜べば神が喜ぶと云ってあるでしょう、天地も晴れます。

輝きます。

そなたは先ばかり
(理想ばかり?先のことばかり気にしていること?)
見ています。

足で歩くのです。

足元には気をつけなくてはいけませんよ。

(一足飛びの注意のようです)

そなたは自分ひとりで(一足飛びをして)勝手に苦しんでいますが、みんなが仲良く相談して下さい。

相談は結構なことです。

相談して、悪いことは気をつけあって進んでください。

病気になっても白紙の手紙をもらったと思ってまず喜ぶことで、病気も飛んでいきますでしょうか(^^)

第四十帖も一足飛びについての注意が出てます。

繰り返し出てくることは、一歩ずつ一歩ずつ歩を進める事が必要のようです。

一足飛びしたい気持ちはわかるけども抑えなさい。

一足飛びして、勝手に苦しまないように、よく相談しなさい。

相談してそれが悪いことならば、よく気をつけてあいながら進めてください。

着実な歩みを出来ることならしたいものです。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

何ごとが起って来ても、そなたは先づ喜びなさい。

それが苦しいことでも、悲しいことでも、喜んで迎えなさい。

喜ぶ心は喜び生を産むのです。

人民が喜べば、神が喜ぶのです。

さすれば、天地は晴れるし、輝くのです。

そなたは先ばかり見ているのです。

そなたは足で歩くのです。

そなたは足もとに気つけねばなりません。

そなたは自分一人で勝手に苦しんでいますが、皆が仲よく相談しなさい。

相談するのは良いことです。

相談して悪いことは注意し合って進んで下さい。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

『 天地はれるぞ。

輝くぞ。

そなたは先ばかり見ているぞ。

足で歩くのじゃ。

足もとに気つけねばならんぞよ。 』

見方によれば、掲挙に関する内容にも見えてしまうのですが、、、

都市攻撃を暗示する内容、掲挙に関する内容と取りました。

『 そなたは自分ひとりで勝手に苦しんで御座るなれど、みなが仲良う相談なされよ。

相談結構じゃなあ。

相談して悪いことは気つけ合って進んで下されよ。』

サイトの活動の内容にも触れている感じとも思います。


月光の巻第四十帖(827)

判らんことは神示にきくがよいぞ。

遠慮いらん。

そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持がぬけない。

何事も一段ずつ、一歩づつ進まねばならん。

それより他に進み方はないのぢゃぞ。

先づそなたの中にゐるけだものを言向け合さねばならんぞ。

よく話し、教へ、導かねばならん。

けものを人間と同じにしようとしてはならん。

けものはけものとして導かねばならん。

金は金。

鉛は鉛ぞ。

鉛を金にしようとしてはならん。

鉛は鉛として磨かねばならんぞ。

浄化とはそのこと。

世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落ち込むぞ。

心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ。

見えたら先づ自分の周囲に知らせねばならん。

知らすことによって次の道がひらけてくるのぢゃ。

自分だけではうれしうれしとならん。

うれしくないものは弥栄しないぞ。

冬になったら冬ごもりぞ。

死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ。

遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。

コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのぢゃ。


■平易意訳■

判らないことは神示に聞けばいいのです。

遠慮は要りません。

そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持が抜けませんね。

何事も一段ずつ、一歩づつ進まねばなりません。

それより他に進み方はないのです。

先づそなたの中にいるけだもの(獣)を言向け合さなければならないのです。

よく話し、教へ、導かねばなりません。

獣を人間と同じにしようとしてはなりません。

獣は獣として導かねばなりません。

金は金。

鉛は鉛です。

鉛を金にしようとしてはなりません。

鉛は鉛として磨かねばなりませんよ。

浄化とはそのことなのです。

世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、我良しの人民にはいよいよ判らなくなり、焦れば焦る程深みに落ち込むのです。

心の窓を大きく開いて、小さい我の慾を捨てると、遠くが見えて来るのです。

見えたら先ず自分の周囲に知らせねばなりません。

知らすことによって次の道が開けてくるのです。

自分だけでは嬉し嬉しとなりません。

嬉しくないものは永久に繁栄しません。

冬になったら冬ごもりです。

死ぬ時には死ぬのが永久に繁栄している印なのです。

遊ぶ時は遊ぶがよいのです。

コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのです。

一歩ずつ進むことが大事なポイントであるようです。

自分の中にいる獣を導くことも大事なことのようです。

世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、我良しの人民にはいよいよ判らなくなり、焦れば焦る程深みに落ち込むのです。

この辺りの表現から思うに今回の大変わりはスケールが違いますよということでしょうか。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

人民・臣民は判らないことは神示に聞けばよいのです。

遠慮はいりません。

そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持が抜けないのです。

何事も一段ずつ、一歩づつ、進まねばなりません。

それより他に進み方はないのです。

先づ、そなたの中にいる獣のを言向け合さねばならないのです。

よく話し、教へ、導かねばなりません。

獣を人間と同じにしようとしてはなりません。

獣は獣として導かねばなりません。

金は金です。

鉛は鉛です。

鉛を金にしようとしてはなりません。

鉛は鉛として磨かねばなりません。

浄化とはそのことです。

世は七度の大変りを開始して、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、我良し人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程深みに落ち込むのです。

心の窓を大きく開いて、小さい我の慾を捨てると遠くが見えて来るのです。

見えたら、先づ自分の周囲に知らせねばなりません。

知らすことによって、次の道が開けてくるのです。

自分だけでは嬉し嬉しとなりません。

嬉しくないものは永久に繁栄しないのです。

冬になったら、冬ごもりをしなさい。

死ぬ時には死ぬのが永久の繁栄です。

遊ぶ時は遊ぶが良いのです。

コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得ていれば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持ちがぬけない。

何事も一段ずつ、一歩づつ進まねばならん。

それより他に進み方はないのじゃぞ。

肝に銘じたいところです。

今回はなるだけ順番どおりに進めたいと思います。

けものはけものとして導かねばならん。

太陽の仕事に付いて触れているのでしょうか。

世は七度の大変り。

いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落ち込むぞ。

七度の大変り、、、

初めてみる感じです。

冬になったら冬ごもりぞ。

死ぬ時に死ぬのが弥栄えぞ。

遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。

コト(光透)と、時と、その順序さえ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考えてもよいのじゃ。

都市攻撃後、冬を避難生活の中で過ごすことになると暗に言っているのでしょうか。

知らすことによって次の道がひらけてくるのじゃ。

自分だけではうれしうれしとならん。

うれしくないものは弥栄しないぞ。

世紀末研究報告と天使のつぶやきのこの二つは大きい広報活動ですが、広めることによって道は開けてきているとは思います。


月光の巻第四十一帖(828)

そなたはいつも深刻な顔をして考へ込んでゐるが、考へ方にも幾通りも御座るぞ。

考へは迷ひと申してあるのは、そなたのような場合ぞ。

そなたは苦に向ひ苦にかったつもりで、苦を楽しんで御座るが、

苦は曲ることぞと知らしてあろうが。

苦をつくり出してはならんぞ。

苦を楽しむより、楽をたのしむ心高いぞと知らしてあろう。

苦しむと曲り、

楽しむとのびるぞ。

二月十日。


■平易意訳■

そなたはいつも深刻な顔をして考え込んでいますが、考え方にも幾通りもあるのですよ。

考えは迷いと云っているのは、そなたのような場合ですよ。

そなたは苦しみに向かい苦しみに勝ったつもりで、苦しみを楽しんでいますが、苦しみは曲がることだと知らしてあるでしょう。

苦しみを作り出してはなりませんよ。

苦しみを楽しむより、楽を楽しむ心が高いのだと知らしてあるでしょう。

苦しみと曲がり、楽しむと伸びます。

二月十日。

自分の適正にあった方向でベストを尽くすのが良いようですね。

なるようにしかならないということで、ひょうひょうと暮らすという所でしょうか。

その中で出来ることを楽しみながらやるということかも。

個人的には、これは結構はまってます。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

そなたはいつも深刻な顔をして考へ込んでいますが、考へ方でも幾通りもあります。

考へは迷いと説明してあるのはそなたのような場合の為なのです。

そなたは苦に向い苦に勝つつもりで、苦を楽しんでいます。

ですが、苦は曲ることですと知らしてあるでしょう。

苦を作り出してはなりません。

苦を楽しむより、楽をたのしむ心が高いのです。

苦しむと曲り、楽しむと伸びるのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

天明に話している話でしょうか。

苦は曲がることぞと知らしてあろうが。

苦をつくり出してはならんぞ。

苦を楽しむより、楽をたのしむ心高いぞと知らしてあろう。

苦しむと曲がり、楽しむとのびるぞ。

二月十日。

サタンによる魂の曲げ方の手口を話しているのでしょうか。

何だか太陽に対極の心を作ってください。

としているようにも取れないことは無いかとも思うのですが。